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 信愛・自立・向上 

 

一粒米の精神

一粒米
 本校の創始者である森恒太郎氏(1864~1934)は、俳人でもあり、農業、政治、教育に尽力した偉人です。森氏は32歳の時に失明し失望落胆しました。ある日の食事中に一粒の米が膝ひざに落ち、それを探し求めて悟るところがありました。それは「僅わずかに指頭に拈ねんじ得られる一粒の飯にも、殆ほとんど量るべからざる重さのあること」ということです。そして幼少から聞かされていた訓戒を思い出し、「一粒の米は何故かくも尊敬をうけているのか」ということを悟り、「一粒米」の精神が生まれました。そして、1907年(明治40年)に視覚障害者と聴覚障害者を教育する私立愛媛盲唖学校が誕生しました。

 森氏は視覚障害の状態になった後、余土村を模範村に作り上げ、全国にその名を知らしめました。県会議員、道後湯之町町長を務めながら、正岡子規に師事して「天外」の号を受け、盲天外と号すようになりました。